凄いと思われたい気持ち

2023/04/12

雑記



ソメイヨシノが葉桜へと変わり、八重桜のターンがやってきた。



それでもまだ微妙に咲いている粘りソメイヨシノもあったが、おそらく今日の春風で花吹雪となって散っちゃうだろうな。

・・・ところで最近「凄いと思われたいを止める」という記事を読んで、「凄いと言われたい、褒められたい、認められたい」という承認欲求を満たしたいがためにする行為の場合、あれこれ努力したりお金や時間を使ってみたものの結局は何も残らないとあって、確かにそのとおりだと納得してしまったよ。

例えば車を買うにしたとして、本当にその車が好きだから買うならともかく、皆に凄いと思われたい、カッコイイと思われたいから無理して高級車を買うとか、写真の写り具合なんてそこまで大差ないのに高価なカメラレンズを買ってみたり、味も良く分からないけど高価なお酒を飲んで悦に入るなど、人に見せたり話しているときに満足するだけ。

まだ若いときなら「若気の至り」という言葉があるのでそれも勉強だろうけど、自分のようなオッサンになったら、もう見栄を張るのがバカバカしくなってくるんだよね。

車は普通に乗れれば良いし、写真を撮るにしても映えなんて気にせず自分がそれで良いと思えばヨシ。そうやって生きていたほうが気楽だもんね。芸術写真?アート?そんなのはプロに任せて自分は記録写真の撮影で十分に楽しいし満足なのだ。

あとは自分が12年間続けているブログだって、人から「長く続いているね~」と認められたいから続けているのではなく、自分がやりたいから(好きだから)続けているのであって、これが「誰かが見てくれているから」なんていう変な義務感があったら、おそらく続かなかっただろうな。







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